アウシュビッツで中谷さんのお話を聞きに行ってきました Part2
今回は前回の続きでアウシュビッツについてです
前回↓
まだ前回で門と建物一個分しか話せてない、、、
長くなりそうですけど忘れないうちに書き留めておきたいものです😅
第5棟
前回第4棟まで書きました
その後向かったのはお隣の第5棟です
ここには被収容者が持ってきた財産の一部があります
収容されるときに奪われて、分別し、使えるものは使っていました
大量のメガネです、本当に大量
目が悪い人は奪われて大変だっただろうに、、、
これはタリートというユダヤのお祈りのショールだそうです
これをとられたということは宗教の自由もないっていうことですね
被収容者はユダヤ人(とドイツに決められた人)だけではありません
彼らに共通するこというのはホロコーストが起きる前から差別されていたということでしょうか
例えばユダヤ人がヨーロッパに来た時、身分が下の仕事、その当時では商人、をしていました
そのせいで株の大暴落もユダヤ人のせいにされたんだとか
個人的なことですが前にシンティ・ロマについてのレポートを書いたので、中谷さんが彼らについて話すたびに敏感に反応してしまいます😅
おそらく彼らについて知っている人は少ないと思うのでざっくり話すとインドからヨーロッパ全域に流れていった移動型民族です、昔から物乞い、盗人をしている貧乏な人たち、というイメージがあります
シンティ・ロマはその移動型民族の中の一部分で、全体的にはジプシーと呼ばれます
馴染みのない人から見ればそういう感じがしませんが、この言葉自体に差別が入っているんです
日本では放送禁止用語だそうです、だから普段聞かないんですよね
って考えたらユダヤ人よりもっと下の身分なんです
被収容者の中には脱走をした人が何人かいましたが、多くの人数で団結して親衛隊(監視している人たち)を殺そうとか、協力して逃げようということはあまりありませんでした
その理由は被収容者間の格差です
彼らは服に番号と三角のマークを付けていました
そのマークの色でなんで収容されているかがわかります
赤だと政治犯、ピンクだと同性愛者という風にです
これにより、団結のしにくさを生み出しました
被収容者の中にもヒエラルキーのようなものが存在します
一番上はユダヤ人です
被収容者の中で一番人数が多く、権力を持っています
そしてシンティー・ロマは下の方です
少し前に話題になった(?)のがベルリンにある記念碑についてです
1988年、ベルリンに大きな記念碑を作る時に大きな争点となったのが「誰のためなのか」という問題でした
ナチ被害者全体なのか、ユダヤ人だけのものなのか
記念碑を設置しようと言い始めた人々が出した結論は、ジプシーのための記念碑は別で、別の場所で、作るということでした
ユダヤ人は同じ場所にジプシーのモニュメントを置くことにすら抵抗があったのです
そのあとすぐジプシーのための記念碑を作るのに取り掛かったんですが、できたのは2012年です
受け入れるのにそれほど時間がかかっているんです
LGBT、障がい者は現在受け入れられつつあるのに、と考えると収容所内でもシンティー・ロマの人々はユダヤ人からも下に見られていたんじゃないかと思います
さて話を第5棟の展示物に戻します
これは日用品の鍋、お皿、コップなどです
これらはいらないとみなされたので今も残っているのですが、被収容者がこれらを持ってきた理由として、子供に普段から使っているものを側に置かせて安心させるため、ということだそうです
没収させられたので彼らが使うことはできなかったと思いますが、親として子供のためになんとかさせなくては、という強い思いを感じます
第6棟
ここには被収容者の生活が描かれています
これは被収容者が1日に食べていたものです
1300キロカロリーです
正直これを均等に全ての人が食べることができると、飢えで亡くなることはなかったんです
しかしご飯を親衛隊が、彼らの監視役(まとめ役)に一括にあげていたため実際は差がありました
これは被収容者が自分の生活風景を描いた絵です
左上の他の人より太った人、実は彼も被収容者なんです
彼が監視役であり、他の人の分の食料も奪っていました
前回でもお話ししたのですが、生き残った被収容者は中では地位が高かったのです
その分他の人と競争して生き残っている訳ですから、あまり話すことができないのです
なのでこの絵を描いた人はこのことを表しただけでもすごいと中谷さんはおっしゃっていました
この絵は収容所から仕事に行く時の行進の絵です
この時親衛隊は何も理由もなく殴ったりすることがあったそうです
それを逃れるために列の中に入るのに毎回競争になったとか、、、
子供についての展示もありました
ジプシーの子供たちは、放射線を浴びさせられ、子供ができないようにさせたそうです
醜い血族をなくすため、ということでした
しかし同じようなことを日本も行っていました
最近裁判になってニュースにも流れていましたが、障がい者が子供を生まないようにさせました
日本は戦後にしていたので、ドイツに影響されたのではないかと
日本はあくまでも彼らの負担が減るようにという理由でしたが、ドイツが同じことを悪い理由で行っていた後、ということを考えると、実は日本も同じような理由なのではないか、、、ということです、恐ろしい
第11棟
ここは監獄として使われていました
アウシュビッツ、初期にはソ連軍や政治犯が捕まって暮らしていました
彼ら、特に先生や神父さんは情報を得るために捕らえているので、ここに連れて行き拷問をさせて話させたりするなどの行為を行っていました
撮影禁止だったので写真はお見せできませんが、例えば、立ちろう、というところは、狭い部屋に4人が収容され、座ることができないスペースに入れられ何日も閉じ込めました
また、ここには日本にゆかりのある神父、マキシマリアン・コルベさんが入っていた監獄があります
彼は日本に来てキリスト教を広めた方です
彼はポーランドに戦争が起きた時戻りました、そこで収容所送りとされました
アウシュビッツにいる時に、一人の人が脱走し、その代わりに10人を殺すという出来事が起きました
その時一人の人が、助けて、と言ったそうです
マキシマリアン・コルベさんがなんとその時に名乗り出て、身代わりになったのです
代わりに助けてもらった人は生き延びることができ、お礼として神父の番号の書かれた記念碑が建物に貼ったそうです
彼が入っていた監獄には三本のロウソクがあり、ローマ法王が来られた際につけるそうです
所長の家
収容所から300メートルほど離れたところに収容所の所長の家があります
真ん中の木の奥にあるお家です
収容所の中からも見える距離にあります
そこには家族で住んでおり、子供もいました
私が行く前に見た映画、「縞模様のパジャマの少年」の主人公の男の子はここの所長の子供がモデルだと言われています
本当にこの距離だと中の人と話すことができそうです
その近くには死の壁というものがあります
ここで主に遺族が花をお供えすることが多いそうです
上にはユダヤ人の旗が、アウシュビッツで着ていた服と同じ縞模様です
ヨーロッパには様々な民族が住んでいます
オーストリアが小さな国になった時に他の民族はポーランドなどに住み新しい国を作っていったそうです
グローバル化と言われている今日、ヨーロッパの人々はここに来て他民族との共存社会について考えるそうです
法律などの制度も必要ですが、自分に他の民族を受け入れる心が必要であるということを知るために多くの学生が訪れます
では日本はどうするのでしょうか
日本でも労働不足の問題から外国人労働者を緩和する法律ができました
しかし日本人は受け入れる体制を持っているのでしょうか
無意識に悪く扱ってしまうかもしれません
それの最悪なケースがアウシュビッツなのです
ユダヤ人は住んでいるところに馴染むために自分がユダヤ人だとバレないように名前を変えた人が多かったそうです、さらには宗教を変えてその場の人々と同化しました
日本でも、今は減ったと思いますが在日韓国人が同じことをしています
名前が韓国の名前であるというだけで就職できなくなっていたこともあったそうです
このような状態だと、日本はいつまでも受け入れる姿勢が整いません
日本はヨーロッパについて差別はしていないけどある程度差をつけてしまっているのではないかという話もされていました
例えば歴史についてです
私たちが世界史を学ぶ時、ヨーロッパといってもほとんどがイギリスなどの大国、西欧になりがちなのです
ポーランド自体国である時期が少なく、日本とポーランドの国交が今年で100年になったばかりなほどです
ポーランドについて私はほとんど知りません
このように西欧中心主義になってしまっている日本の世界史の教え方は、今後グローバルに社会が動いていく中でよくないことだと私は思います
特にヨーロッパに来てから世界史をもっと知っておけば、、、と思う時が多いです
さてここで第一収容所のお話は終わりです
次は第二収容所、ビルケナウ収容所について書こうと思います
ではまた👋
アウシュビッツで中谷さんのお話を聞きに行ってきました Part1
ついに念願のアウシュビッツに行ってきました!!
中谷さんをインターネット上で知ってから約1ヶ月
色々映画見て、準備も自分なりにして、気持ちも入れて、、
無事に予約も取れて、沢山のお話を聞くことができたのでここに記したいと思います
中谷さんのガイドは時事問題を絡めて、聞くたびに変わってると思うので面白いと思います!
着いて感じだこと
クラクフの中央駅からバスで1時間半ほどで着きます
バス停から日本人だらけでみんな中谷さんのを聞くんだなーと思いながら、人間観察をしながら、笑
私を含めて大学生が多かったです
春休みだからかな
一人旅してる人が多かったです
バックパッカーみたいな
久し振りに多くの日本人に囲まれて違和感😇
よく分からないけど日本帰りたくないって思っちゃった
着いてからびっくりしたのが外国人の高校?生の数
後から中谷さんから聞いたのですが外国人の修学旅行先として人気なんだとか
日本でいう広島、長崎コースですね
でも広島長崎は日本が被害者っていう印象を与えるので、やっぱり違いますね
おそらくアウシュビッツに行く生徒の国は加害者もしくは傍観者の国ですから
また違った印象を与えそうです
アウシュビッツに着いて、寒いと感じました
もちろん事前からいろんな人に寒いから気をつけてね、って言われてたのに
最近のストックホルム天気いいし、ここより下のポーランドはもっと暖かいだろうと判断
いつもより軽めのコートに靴もスニーカー
完全に失敗です😇
この寒さが負の遺産の雰囲気を創っています
昔は冬は-20度になってたとか
なんとなく日本人のところに集まっていると
なんとなく中谷さんが現れて
なとなく始まりました
人数確認もあんまりしてないので時間に遅れたら完全にアウトパターンですね笑
門
中谷さんの声が聞こえるようにヘッドホンとオーディオガイドをつけてスタートです
20人ぐらいで行われました
いきなり有名なところ
この写真文字が途切れてる笑
ARBEIT MACHT FREI
ドイツ語で働けば自由になれる
と書かれています
実際はそうならなかったですが、そう言い聞かせるためのもののような
収容所は被収容者が毎日過ごしていたところではありません
主に寝るのがメインです
近くにあった工場に働きに行っている人がたくさんいました
いろいろな企業、大企業も含め、彼らを雇い工場を経営していました
シンドラーもその一人ですね
彼は違いますが、企業は現在でも強制労働を認めていません
なぜなら賃金を払っていたからです
しかしそれがきちんと彼らの元にたどり着いていたのかは定かではありませんし、おそらくないと思われます
彼らはこの門を毎日朝早く出て、夜遅く帰るのを繰り返していました
しかし占領していたのはドイツ人なので当然ここではドイツ語が話されます
門もドイツ語で書かれていますし、そもそもアウシュビッツもドイツ語での地名の言い方です
ドイツ人にとって言いにくかったのでアウシュビッツに変えたそうです
この門の中では大量虐殺、ホロコーストが行われ約110万人が亡くなっています
ホロコーストという言葉はもともと生贄という意味でした
しかしアメリカのテレビ局がアウシュビッツでの出来事を特集した際に題名をホロコーストとしたことから、アウシュビッツでの出来事をホロコーストというようになりました
何のための生贄なんでしょうね、、、
ここで働いていた人は主に15歳以上です
なぜなら当時15歳からは大人とみなされていたからです
アンネの日記で有名なアンネ・フランクも15歳でしたので働いていました
では15歳以下はどうなるのか
彼らは働けないとみなされ、着いてすぐにガス室送りとされました
ドイツ人はユダヤ人を「人種」つまり血族の関係で祖先にもつながるもの、とみなしていたので家族単位でアウシュビッツに送られることが多かったそうです
つまり目の前で親と子が引き離されるということです
想像したくないぐらい恐ろしいです
ちなみに女性と男性でも別れていました、収容所の中でも家族は離れ離れです
ではガス室とはどのようなものなのか
この建物は今はもうありません
ソ連が来る前に証拠がなくなるように燃やし壊しました
今残っているのは当時途中で使われなくなって、医療関係の倉庫となったものです
燃やされた時には煙突から煙が出るそうです
天井の二つの穴からツィクロンBという殺虫剤が撒かれてなくなります
一缶で150人ほどを殺すことができる毒です
その後焼却炉で燃やされ運ばれます
1日に数千人が亡くなたとされています
そのための人の誘導、燃やすのも同じ被収容者です
彼らは生きるのと引き換えに自分と同じ立場の人たちを殺すのを加担していました
そのおかげでドイツ人はしなくて済みました
彼らは人々を誘導する際にシャワーに入ると嘘をつかせます
暴れたら困るからだと思います
きちんとその嘘のための脱衣所も用意し、服を脱がせます
そして次の部屋に閉じ込めガスを上から撒きます
計画的な感じがします
嘘でこれから殺される人を安心させるのが嫌になった誘導者がいました
彼はこれから死ぬと本当のことを言ってみたそうです
すると彼は責められました、なんでそうするのかと
彼は嘘をつく方が良いと思い直したそうです
彼はされている側なのに、殺された被収容者にとっては殺した側になってしまいます
実際にアウシュビッツが解放されて20年は生き残った人は口を閉じていたそうです
またここに来ることさえも惨めでできませんでした
なぜなら多くの人が加担する側の仕事をして生き残っていたからです
今ではやっと30%の人が来ることができているそうです
第4棟
門をくぐってまず最初に行ったのは第4棟
アウシュビッツ収容所の幾つかの棟の中は展示室となっています
これはアウシュビッツに収容された人がどこからきたのかを表す地図です
すごい遠くからも来ています、何日かかったやら、、、
ガス室、脱衣所、焼却室の模型です
ほとんど地下で行っていました
この缶は実際にガスとして使われた使用済みのものです
一つで150人、数えられないほどの人を殺しました
ツィクロンBというのは先ほども述べたように元々虫を殺すために作られたものです
これを使うきっかけとなったのは街の人の声からなのです
被収容者がアウシュビッツに来る時に、最初に浴びたものは現地の人々の声でした
出て行け、害虫どもが!
電車で来る時に聞こえてきます
ここから、害虫=被収容者となり、彼らをこれで殺すことになりました
ちょっと信じられないような話です
最初からツィクロンBで殺していたわけではなく、これは被収容者間で発生しやすいチフスを治すために使われていたのです
それがいつの間にか彼ら自身を殺すものとなっていきました
つまり人々の口で発した言葉が始まりとなったのです
それは現代でも言えます、フェイクニュースです
嘘のことを発信し、本当だと信じてしまう人々
それにより様々なところに影響を与えます
この時代でも同じことが起きていたのです
ユダヤ人の定義もその中の一つです
ユダヤ人は本来ユダヤ教を信じる人のことを指し、ムスリム、クリスチャンと同じで、人種、血統的民族のことではありません
ユダヤ人に聞いても人によって定義が異なるほど曖昧なものだそうです
しかしドイツ人がユダヤ人を血統、人種、血を要素とし
ユダヤ教徒でない者でも両親、祖父母のうち誰か一人でもユダヤ教徒ならば、ユダヤ人となると述べ、法律として定められました
アンネも自分はユダヤ人ではないと思っていました
ユダヤ教を信じてもいませんでした
しかし母がたがユダヤ教徒だったために収容所送りとされてしまったのです
嘘のことを政治家が発したがために人々がそれを信じ、迫害につながったのです
また、個人的に日本語でユダヤ人と言っているのはよくないと思っています
キリスト人?とは言わないし、ユダヤ人といってしまうと、民族があるかのような、人種のような印象になってしまいます
日本語も難しいですね
二階には被収容者から得た2トンものの髪の毛が展示されています
当時髪の毛を産業用として使うのは珍しくはありませんでしたし、今でもヘアードネーションとしてカツラのために使われたりしています
通常と異なる点はそれを無理やり取られるかどうかという点です
発見された時は、袋の中に大量に入っていたそうです
本来はそれをドイツの企業に送り、織物に変えていたそうです
人々は様々なところから来ていたので髪の毛の色も多様でしたが、今ではほとんど同じ茶色になっています
それでも注目してみると茶色の中でも明るめだったり暗い色のがありました
この棟に置かれている写真は、ある被収容者が自分が殺されるかもしれない危険があるのに関わらず、カメラで写真を撮り歯磨き粉のチューブの中にメモリーを入れて外部に届けたのだそうです
そういった人がいるからこそ私たちが今見ることができるのです
とりあえず、この辺で
続きはまた今度にします
アイススケート in Sweden
もう春になりかけですが
冬といえばアイススケート!!
ですよね🙃
日本ではフィギュアスケートも人気あるし強いし、冬になると街中でもできますね
スウェーデンでもスケートは盛んです
アイスホッケーをする土台でもあるし、土日は特に家族ずれでごった返します
おそらく日本よりスケートしている人が多いです
なぜなら無料だから!!!!!
私は元々スケートに興味がなかったんで全然知らなかったんですけど、日本って入場料が高い!!だいたい千円はするんですよね😅
それがどこでも無料なんです!!
私はこの冬に二回行きましたが、どちらもKungsträdgårdenというところにあるアイススケート場に行きました
王様の公園という意味で、街のど真ん中にあります
ストックホルム中央駅から歩いていくこともできるんです!
ここ日本なんじゃないかなあって感じてしまいます笑
もちろんレンタル屋さんも近くにあります
子供が30sek(355円)で大人が70sek(830円)
日本より少し高めでしょうか
ただ入場券が無料なので合計考えたら安いですね!!
市営のアイススケート
このアイススケート場は民間企業ではなく、ストックホルムが運営しています
その証拠として、スケートリンクを綺麗にする機械にはストックホルムのマークがありました
つまりこれは税金によって運営されているということだと思われます
税金が高いと言われているスウェーデン、食材は10%なのでそこまでですが、服など絶対に必要ではないものは25%ついたりします
(全てが税込価格で書かれているのでレジでびっくりするようなことはないです笑)
これらの税金は福祉や子供の教育に使われるので有名なのですが、アイススケートのような、楽しむものに対しても使われているのです
日本では批判されそうな使い道です笑
でも還元されてる感はあるしいいんでしょうか
ってことは使わないと損なのです!!ケチな視点からすると
今まで損なことをしていたかもしれません、勿体無い😔
靴⛸
スケートの靴はどこのスポーツ屋さんでも売られていますが、とても安いです
今の時期はもう終わりでだいぶ安くなっている影響もありますが、250sek(3000円)から売っています
日本では一万はしますもんね、すごい安いです
スケート靴だけではなく、ウインタースポーツが盛んな国らしく、スキーやスノーボード、アイスホッケー関連のものは日本より安く感じました
買いたくても持って帰れないから買えないもどかしさ、、、😩
レンタルで借りる靴はアイスホッケー用の靴です
おそらく日本ではフィギュアスケート用の靴ですよね
私は日本でも全然していなかったので違いがわかりませんでしたが、友達によると高さがアイスホッケー用の方が高くなるのと、先端のギザギザが付いていないそうです
付いてない方が初心者にとっては滑りやすいのかも
周りの人を見てみたらフィギュアスケートの靴の人もいるし、アイスホッケーの人もいるし、ただ滑るだけのためにホッケーのを買う人は少ない気がします
アイスホッケーもしているけど、息抜きか走る練習をしに来ているのかと
アイスホッケー用の顔の部分も覆われたヘルメットできてた子供もいましたしね、確定犯です
って考えたら、スポーツをするためにフィールドを無料で提供してくれるのは、結果として国全体のスポーツ推奨にも、世界的にも強い選手が出るかもしれないし、いろいろいいことがありそうです
日本では興味がないとしないアイススケートですが、スウェーデンではそこにあるからなんで行かないの?っていう感じになるし、それで行ったら才能あるじゃん!我が子よ!ってなるかもしれないし
まあ普通に多くの人が練習たくさんできるし、ありがたいことですね
ストックホルムから電車で一駅のところの近くの公園にもありました、近すぎです
スウェーデンはスキー人口も多いけど、誰でもさーって滑れそうなのはスケートかも知れませんね
日本帰ったらスケートしに行きます、意外と滑れたんで、趣味増やしたい笑
ではまた👋
アイスホッケー見てたら簡単にスケートできそうに見える in Sweden
こんばんは!
この間スウェーデンでは身近にあるアイスホッケーの試合に見に行ってきました!!
初めて生で試合を見たけどすごかったです😯
スポーツを見るのって楽しいな〜って思いました!
私目線で見た面白かったことを書いていこうと思います👀
アイスホッケーについて
私は全然知らなかったので試合が始まる直前に友達が調べてくれてなんとかって感じでした
とりあえず6人vs6人、ゴールにパックを入れたら1点入る、20分1セットして15分休憩、3セット行う
これだけ分かっておけば全然十分、だと思います、、、
ちなみにゴールは試合ごとに変えるので、席は特に気にしなくていいみたいです
一番わからなかったのが反則についてです
何回か、選手が反則があったら2分間そのチームは5人で戦うということがありました
でもその反則の定義がわからなくて
というのもスケートリンクなので誰に何をされなくてもバランスを崩せばこけてしまいますし、勢い余って止まることができなくて人にぶつかることもしばしば
玉突き事故みたいなこともありました
しかもアイスホッケーには場外にパックが出るということがほとんど起きません
だから場内の端っこの方でパックの奪い合いかつぶつかり合いがしょっちゅう起きます
思っ切り手で叩いてるじゃん!って時もみんなスルーなのに、
え?っという瞬間にみんなブーブー言い出します、これが本当に分からなかった🤷♀️笑
試合の流れ
まず最初は選手入場です
すごいかっこよかったああ!!
暗い中炎が出て、いい感じの音楽がなって!!!(語彙力)
面白いのが観客席の方々
今回はStockholm大学とMalmö(マルメ)大学が戦う試合だったのですが、マルメはコペンハーゲンの近くでここからは遠く、平日の夜なので応援している多くの人が来ることができません、よって観客はほとんどがストックホルム応援隊
この観客席にいる熱心な方は、だいたいゴール裏にいるんですが、自分の応援してるチームが出ると大盛り上がり、相手チームが出てきた瞬間すごいブーイングです
まるでUSJのウォーターワールドのディーコン様の登場シーンみたいでした😇
あと観客席見てて面白かったのが、みんなの服の色
前回のブログでも言いましたがスウェーデン人黒い服ばっかり着てます
こんな試合の時でさえ、真っ黒です
確かにスーツっぽい人が多かったけど、それでもです笑
赤ワインとかグレーのコートを着てるだけで目立ちます笑
服屋さんでは普通にいろんな服売ってるのになあ
国歌斉唱をして試合が始まりました
しかし鳴り止まない応援歌
隣のおじさんによると試合が終わるまでずっと立ち歌い続けているそうで、、
そこの席取らなくてよかったです笑
実際に彼らは歌ってるかブーイングしてるかでした、忙しそう
そしてストックホルム大学が点を入れました!
観客の人は何をするのかとワクワクして待ってたらなんか歌い出して、よく聞いたらジングルベルの歌でした🔔
季節外れ感すごくてえええって感じです、確かに冬のスポーツだけど笑
ストックホルムが2点入れて一旦休憩に入りました
サッカーと違うのが、試合が止まると時間も止まるので、ロスタイムというのがありません
なので、20分といっても実際もっとかかっていると思います
休憩時間特に何もすることなかったのでその場で待っているとリンクを清掃員が綺麗にしていました✨
そして何分かすると大勢の子供達がリンクの上にやってきて試合を始めました
すごく可愛いかった👦
見た感じわかりにくいけどみんな小学生ぐらいだと思います
まだスケート自体に慣れていないのか、コケる子供多数笑
パックのスビートもゆっくりで、ものすごくわかりやすかったです、と同時に大学生の試合はすごいなあと、改めてびっくりしました
監督らしき人は携帯で動画撮りながら審判的なことしてるし笑
なんとも和やかな雰囲気でした☺️
そんなこんなで試合は続き、2セット目はマルメがいい感じになってましたが入れることができず、最後のセットに進みました
何回かゴールにに入りそうになると観客が、ウェイ!みたいなこと言うんですよね
それが Wii Resortとかの、卓球とかバスケしてる時の周りの声にそっくりで個人的にツボでした笑
ああ本当にあんな音出す人いるんだって笑
最後のセットでやっとマルメが点を入れました
ストックホルムに住んでますが、観客がそっちを応援しすぎたので途中から完全にマルメを応援していた私は結構嬉しかったです!!
あと周りがどう反応するか見てみたくて、、
控えめなブーイングをしていました笑
おめでとう、を含んだ感じの
それより反則の時のブーイングの方が力強いですね
最終的にそれからマルメは点を入れることができずにストックホルムの勝利となりました!🥳
初めて行ったしあんまりルールを知らなかったけどとても面白かったです
こういうところからも国民性とかを見ることができるので楽しいです😄
あんなにいとも簡単に滑っている彼らを見て、あれ私できるんじゃない現象が起きました(一回滑りに行って撃沈したのに関わらず😇)
ストックホルムはアイススケートを無料でできるので、これから行ってきます⛸
ではまた!
太陽によって気分が左右されるスウェーデンでの冬の生活
こんにちは😃
最近晴れが続いてとても嬉しいんですが
日本にいるよりとても天候を気にしているような気がして、
それもどこかに行くから晴れでいてほしいというより
晴れだと自分の気分もとても上がり
逆に晴れじゃなかったらすごく気が滅入ったような気がして、、、
よくわかりませんが自分の感情が天候に左右されている感がすごくあります笑
本格的な冬が終わった今日この頃、スウェーデンでの冬についてお話ししたいと思います❄️
日照時間の短さ
(12月中旬、三時半頃の明るさ)
スウェーデンは日照時間が短いです
12月ごろが一番短く、朝8時半頃に日が出て、昼の二時半頃には暗くなります😇
だから太陽はとても貴重な存在なのです🌞
さらに曇りも結構多いので、自分の体が太陽を欲します笑
天気良かったらなんか出かけたくなるけど寒いから出かけたくないというジレンマに冒されます、、、
街のお店も6、7時頃には閉まるし、遊園地とかそもそも夏しか開いてないし!!
みんな何して過ごすんですかーー!!って感じです
ちなみに私は友達ともっぱらNetflix、テラスハウス見てワチャワチャしてました笑
あとは一緒に料理したりちょっとしたパーティーしたり、、、
太る一方です😂でも外で走りに行けるような気温じゃないし、暗いし怖いし(言い訳)
友達が来た時に観光地に行ったんですが、スカンセンはクリスマスマーケットしてたからいっぱいで、他はまばらでした、、、まあそもそもこんな時期に来ないか笑
ガムラスタンのクリスマスマーケットは結構人いました!
お土産の写真とかに載ってる有名な建物が工事中で写真?絵?になってますが😂
服装
スウェーデン人はみんな黒い服ばかり着ます
身長が高いから何着ても似合うのに、みんな黒です
この前国立美術館に行った時に、遠くから見るとお葬式的な儀式があるのかとビクビクしてしまったぐらい、黒いです
目立ちたくないのかなーー??
ちなみにその時一番目立つ服着てたのはピンクの服を着た中国人の方々😇
結構寒いわりにはやはりみなさん薄着です
でもすごく難しいのが、室内はとても暖かいから暖かい服を着すぎても暑くなってしまいます
だから下に半袖のシャツ着たりすることが多いです、室内入ると脱ぎます
ヒートテックなんて脱げないから着れません
去年の夏にユニクロができて、大盛況ですごい人なんですが、ヒートテックは売れないと勝手に思ってます笑
靴は防水が必須です
雪もですし、雪が溶け始めた時、すごく地面が濡れているのでスニーカーじゃダメです🙅
ヒールなんて一生履けない気がします笑
ちなみにスウェーデンでは秋ごろから地面に砂をばら撒きます
滑るのを防止するためです
街にはこのような箱がたくさん置いてあり、中には砂が入っています
ばらまいたところを見たことはありませんが、ここから取ってまくんだと思います
今は雪が溶けて地面に砂だらけなんですが、今度どうなるかが見所です笑
スーツケースがこのせいで壊れたから早くどうにかしてほしい、、、
すごい転がしにくいんです😅
子供は揃ってスキーウェアみたいなの来てます
つなぎって言うんですか、紐で肩かけるタイプの、アレだと絶対暖かいですし雪も入りませんしね
トイレだけ面倒くさそうです笑
あと夜対策として黄色いジャケット着ている人もすごく多いです
スキーの時のゴーグルといい、ファッションより身の安全を取るスウェーデンの服装、好きです
電車の遅延
冬になると電車の遅延が増えます
アプリではこういうのの理由が信号機の故障みたいなのがスウェーデン語で書かれています
一回リガに行くためのフェリー乗り場へ行く電車が止まって、船を逃すという事態に追い込まれてしまいました
その時はどうしたらいいかわからず、タクシーも高いし、、、で、諦めてIKEAに行きました😭
後から聞いたらそういう時タクシー乗って請求したら電車の会社が返金してくれるそうです、すごいショックでした、、、
で、さらに驚きなのが実は信号機の故障という理由は嘘で人身事故であるということです
聞いた人からの話によると、自殺したって聞くと、他の誰かも自殺しようって思うからだそうです
スウェーデンは自殺率が高いってたまに聞くんですが調べたらそうでもありませんでした、日本の方が高かったです
でも日照時間と自殺が関連するって言ってる研究者もいるみたいで、、、
だからもしかしたら冬になると電車の遅延が増えるのかなと考えています
確かに私自身、留学しているからなのかスウェーデンにいるからなのか鬱になりそうな時が2回ほどありました😇
自殺を防げるんなら言わないのもアリだけど、嘘ついちゃうのは日本ではちょっと考えられないなと、、、
対策
ここからはスウェーデンでの冬を乗り切るための対策をお話しします
太陽からもらえるビタミンDの量は、必然的に減るのでサプリで摂るのが必須です
私はスーパーで買いました
3つぐらい種類があってよくわからないから真ん中のとったけど多分配合量が異なるのかと
この時期になるとなぜかビタミンCとかもセールで売り出して、買わせようとしてます
もしかしてCも必要なのか、、、?
この錠剤を飲まないとどうなるかはよくわかりませんが、スウェーデン人が口を揃えて冬になったら飲むんだぞ!っていうから買いましたが、面倒くさがりの私は結局あまり飲みませんでした
で、そのせいだと思われる症状が、爪が割れることです
多分もっと深刻な被害もあるんだと思うけど、私が見つけた症状はとりあえずそれ、でも十分痛いです
変に割れたら内側まで割れすぎて、、、😭
2カーテンがない
これは正直対策ではない気もするけど、カーテンがないのは事実だから一応述べておきます
私の寮はカーテンがあるのですが、一般的なスウェーデンの家にはカーテンがありません
これで太陽の光もいっぱい入りますね🌞
そしてすごい家の中見えます笑
でも逆に窓付近にイルミネーションつけたりかわいいランプを置いたりして外の人に見せている感はあります
クリスマスというか、その少し前にあるルシア祭にちなんで、ろうそくを置く家庭が多いです
これはスカンセンで行われたルシア祭にちなんだコンサートに行った時のものです
この真ん中の女性の頭の上に載せてあるものが多くの家の窓に置かれています
私もこっちにきてからろうそくをよく使うのですが、地震大国日本だと到底使えないですね😅
電気のろうそくをIKEAで購入しておきました(日本でも売ってる説)
3太陽を浴びる施設
これは私も聞いただけですが、どうやら日サロのようなもので、
ビタミンDを得る、かつ楽しむために太陽を浴びるボックスがあるみたいです
1時間いくらみたいな
行ったことある人によるとそこでリラックスして本読んだりダラダラするそうです
お金払ってまでしなくてもいいかな笑
4海外に太陽をもらいに行く
まあこれは皆旅行行く言い訳でよく言う話です
スウェーデンの学生は基本的に外国行こうと思えばいつでもいけますから、ここは太陽無いから〜って言って結局北の地域行ってたり🙃
かといって夏も長期休暇には外国行く人が多いみたいです笑
今年はいつもより早く暖かくなっているようです
何だかんだ日本も結構雪降るし、寒いし
なんか思ったほどだったなーって感じです
春になったら桜が待ってます
ストックホルムにも桜の木があるみたいなので楽しみです🌸
ではまた👋
アウシュビッツに行く前にしたこと、感じたこと
こんにちは!
今度クラクフに行って、アウシュビッツ収容所に行くと決めました。
勉強のための旅っていう感じです。
行くと決めたからには、中谷さんにガイドをしてもらうとなったからには、
少しでも自分なりにアウシュビッツに関連する話を得てから行こうと決めました。
ここには行くまでに自分がしたこと、思っていたことを書きたいと思います。
きっかけ
そもそも行こうと思ったきっかけは鮮明には覚えていませんが言うとすれば
「自分の中でアウシュビッツで起きたことを自分側に近づけたかった」
からでしょうか
日本とポーランド、ドイツ、あまりにも離れすぎです。
世界史でヒトラーについて学んだ時は一瞬で終わりました。
信じられないほどの人数が関わっている、この出来事
アウシュビッツでおよそ110万人が亡くなっています。
でも私が情報を得ているのはネットか学校の授業か本だけです。
現実味があまりありません。
実際にその場に足を踏み入れて、自分の目で見る
それが一番いいと思うし
スウェーデンに留学している今、行こうと思えばすぐ行ける場所にある
このチャンスを逃すと次いつ行くのだろうか
と考えて行くことにしました。
ちなみに往復で飛行機五千円ぐらい😇
安いです。
また日本の大学でドイツのホロコーストに関する授業を受けてレポートを書いたので、多少の知識(本当に限定的ですが)を得たし、せっかくならばさらに深めたいと思いました。
あと友達が行って、良かった、行くべきだ、と後押しされたのも理由の一つです。
色んな情報を教えてくれました、ありがたいです🙌
歴史を学ぶという事
私はとてもとても世界史が苦手です。
その理由はカタカナが多いからで、全然覚えられません😅
そもそも世界史を学ぶというより、覚えてテストでいい点とるもの、としか捉えていない時点でダメなんですが、最初から「嫌い」というイメージがついてしまっていたため今では全然覚えていません。
そしてすぐ覚えてすぐ忘れるタイプです。😩
テストが終わると消えて行きました笑
そんな私がネットでアウシュビッツに関する情報を読んでもはてなマークだらけです。
場所の名前とか、人の名前とか、、、
戦争とかも恥ずかしながら全然わかっていません、、、
ガイドさんや授業で誰かが何年に〜があったって言ってる時に
すご!年号ちゃんと覚えてる!!(年号を覚えるのも苦手だった)
って感動してばっかりです。
戦争の時系列なんて全然わからない本当にダメな人です。
でも日本だったらそれでも大丈夫(ではないと思うけど)でした。
留学して、特に世界史で中心となったヨーロッパで旅行して、自分の愚かさを知りました。
ブリュッセルで会ったおじさん(ホットチョコレートおごってくれた謎の人)に日本人は全然歴史の授業を重視しないよねって言われました。
その人はオーストラリア人で建設会社の人なのに日本が戦争で何年に何をしたかを私以上に知っていました、もちろん他の国のこともです。
ヨーロッパの人はやはり身近に歴史があるのかな、って思うのと(彼はヨーロッパの人ではありませんが笑)
あとは自国に誇り、アイデンテティーを持っているので、自国がしたことを知るのは当然だと感じるのでしょうか。
なんとなく、日本人は先祖がやったことは「自分」ではないから、と思いがちな気がします。
責任を取る、取らないは別として、知っておくべきかと思います。
あと私のように推薦で大学に入って受験をしていない人は世界史の授業をしても、目の前の中間、期末テストでしか覚えないので、長い先の大学受験の時には忘れてます、そして今も。
自分の頭の中にしっかりと入ってないのかなって思います。
高校は英語の授業ばかりでした、毎日1、2限はあって正直疑問でした、多すぎじゃないかと。
そして自分も将来役に立つのは英語だって信じきっていたから他の教科を置き去りにしてしまったかもしれません、反省です。
シンドラーのリスト(Schindler's List)
ここからは私が行く前に見た映画の感想を記しておきます。
シンドラーのリストはスティーバン・スピルバーグ監督による、アカデミー賞の7部門で受賞した映画です。
私はNetflixでみました
3時間以上ある大作ですが、見てみると止まらなくなって朝の3時まで見ていました😅普通に面白いです。
オスカー・シンドラーが1200人のユダヤ人を救ったお話です。
シンドラーは「シンドラーの箱船」という小説が発売されるまでポーランドやドイツでさえ忘れられていた人でした。
しかし小説、そして映画によってとても有名になりました。
箱船というのはノアの箱船が由来でしょうね。
選ばれた人だけが生き残れる、いいことをしているのですが全員を救えないという悲しさが含まれます。
ユダヤ人が解放されるときにシンンドラーがもう少し、少しでも救えたら、、、!と言っていました。
シンドラーのような人が他にもっといたら、、と思いながらもシンドラーのような、高い地位にいながらもできる人はなかなかいないではないかとも思いました。
他の人はアウシュビッツが解放された後でも、自分が悪いことをしていると思っていない人が多かったですからね。
歴史を伝えるというのは難しくて、特にそれを経験した人が亡くなってしまった後、書き換えることが可能な状態になってしまいます。
アウシュビッツでさえ、収容所が残っていても、経験した人がいても、なかったと主張する人もいます。
ドイツでは実際に戦争が終わってしばらくはホロコーストの事実は無視され続けていました。今は忘れないために像、記念碑が沢山あります。
この映画もシンドラーの功績を私含めて多くの人に知らせることができました。
この映画を見て、特に最後のシーンを見て、実際にこういうことが起こったんだと強く感じました。
残虐なシーンも幾つかあり、それが事実であるということに驚きを隠せません。
またそういうのは活字だけで見るより、映像としてみるほうが記憶に残るというか、
もちろんそれまでにアウシュビッツでは多くの人が殺されて、とてもひどい扱いを受けていたということは知っていましたが、この映画を見てそれが自分の頭の中に常に入っているような感覚になりました。
映画の影響力はすごいです。
日本人にも杉原千畝さん、樋口季一郎さんが多くのユダヤ人を助けたことで知られています。
スウェーデン人にも実はシンドラーのような、多くのユダヤ人を助けた素晴らしい方がいました。
外交官のラウル・ワレンバーグさんです。
スウェーデン名義の保護証書というもの(実際は国際的に何の効力をもたないもの)をユダヤ人に支給し、それを持ったユダヤ人を保護下にして、収容所に行くことを防ぎました。
他にも皆殺しにする計画を自らの交渉で防いだりして活躍しました。
ソ連軍がドイツを追い払ってブダベストにやってきた時、今後ユダヤ人をどうするかという話し合いのためにソ連の司令部へ向かったのを最後に彼は行方不明になっていまいました。
それから彼が見つかることがありませんでしたが(モスクワの監房で亡くなったとの説が濃厚です)、2016年に死亡認定をして区切りをつけました。
彼はおそらくシンドラーほど知られてはいないでしょう。
スウェーデンにいた私でさえ知りませんでした。
このような功績をした人が忘れられていくのはとても悲しいことです。
でも逆に今知ることができてよかったです☺️
遅いということはありません!
アウシュビッツ ナチスとホロコースト
これはBBCが製作したドキュメンタリーです。
全部で6話あります。
シンドラーのリストと異なり実際の映像も含まれているので結構衝撃的なものもありました。
そういうのを見て、うわ、、、ってなるたびにアウシュビッツ行くんだから頑張って見ないとって自分に言い聞かせて、、😥
アウシュビッツができるまでから解放、その後までの全体的な流れを見ることができます。
最初は年号出てくるたびネットで世界どうなってた時だろうと調べてたりしてました笑
あとスウェーデンに住んでるからか、北欧関連のことが出てると気にしちゃいます笑
愛着湧いた的な感じです笑
このドキュメンタリーではデンマークについてでてきました。
デンマークではドイツ支配下に置かれてもほぼ全員のユダヤ人が収容所送りにされずに済みました。
皆が彼らを他の国(スウェーデンなど)に逃げるのを助けたのです。
その理由として北欧の特徴である公平さ、のワードがインタビューででてきました。
北欧では男女平等の社会を目指しています。
私はそこらへんのことはあまり深く学んでいませんが、ユダヤ人を逃がした理由として、彼らは他の人と同じ人、公平だから、という話をしていました。
今でこそ「女性」との公平さについて着目されていますが、確かに根本的に考えると全員平等を目指していますもんね。
戦争中でも、昔からその考えが国民にあったのは本当にすごいと思いました。
こうやってみてみると北欧っていいことしています。
日本にいた時はこんなことまったく知りませんでした。
スウェーデンに留学したかったことの理由に、まったく知らない国だからこそその国について知りたい、学びたい、といったことを面接で言ったことを思い出しました。
ちょっとは近づけたかな☺️
縦模様のパジャマの少年
これは他二つのと違いフィクションの映画なのですが。
収容所の所長の子供と、柵越しに仲良くなったユダヤ人の子供のお話です。
二つの作品でも所長とその家族について描かれていましたが、彼らはホロコーストに関して何も思っていない感じで描かれていました。
しかしこの映画では子供はナチスのことを知らず(知らなさすぎだとも感じましたが😅)、お母さんは、やっていることに対して反対している感じがしました、関わりたくないって感じですね。
友達がこの話は最後のシーンだけを見せるために作られたようなものだって言ってて納得してしまうほど最後のシーンがすごい衝撃的です、、、
主人公が、ユダヤ人に対して、なんで?いい人なのに?ユダヤ人だからってだけ?っていう感じのをずっと持ってて、お父さんとかにもそれが伝わればよかったのになって思いました。
短いので気になる人は是非!
今の所映像系からしか学んでいませんが、これからは時間があればもう少し調べれたらなって思っています。
しかし授業もきちんとしなくては、、プレゼンが今週末です、、、😇
ではまた!
Flottsbro 2回目のスノボ in スウェーデン
こんにちは😃
この間シーズン2回目のスノボに行ってきました!
この間は Åre に電車で3日ほどかけて行きましたが
今回はFlottsbroというところに日帰りで、しかもナイターに行きました!!
地味に初めてだったナイター🌝
思ったより明るくて普通に滑れました🏂
ただ雪の質がだいぶ悪かったです😅
ここ最近大雪が降った後に珍しく晴れが続いていたので私の寮付近も雪が溶けまくりです
溶けて消えるのならいいんですがタチの悪いことに溶けかけでぐちゅぐちゅだったり、
それがさらに凍って地面が氷の状態になっているところも、、、
きちんと歩けません😂
スキー場は普通のところよりもよりも田舎というか森の中にあり、気温も少し低めですがそれでも私が行った時は5度、、、
結構凍ってて滑りにくかったです😇
しかしいいところもあります
それはストックホルムから近いことです!!
そしてSLカードで行けることもいいこと✌️
普通はリムジンバスなどで行くのにもお金がかかりますもんね、、、
Flottsbroへの行き方
Flottsbro はストックホルムの南にあります
PendeltågのHuddinge駅からFlottsbro行きのバスが乗っているのでそれに乗って行きます
バスは1、2時間に1本しか出ていないのできちんと確認し、帰りも乗り遅れないように時刻表を見てから滑りに行きましょう😁
Flottsbroでの苦い思い出
実はここにきたのは2回目です
でも前行った時はスノボができませんでした、、、
理由は前日夜に起きた嵐です🌀
それにより多くの木が倒れ、その木によりスキー場まで電気が通らなくなっていました
リフトも全く動かず、、、
私の家の近くでも木が倒れていました
ここでは細く長い木が多いので倒れやすいんだと思います
でも私はスウェーデンのニュースを読んでいないのでとても大きな嵐が起こったことも知らず、「木が倒れてる!!」っと思いながら普通にスキー場に行っていました😅
そして行くまでのバスで誰もスキー場に行かないなーって思ってたら休業、、😭
1時間バスを待って帰りました
念願のスノボ
今回はちゃんと当日にスキー場のサイトとインスタをチェックして開いてるって確信してから行きました笑
私が行った週は月火が休み、水木はナイター16-22時まで、金土日が終日やっていました
たまたま友達と行ける日がナイターの時だったのでナイターに行きました
と言っても4時からで、全然明るかったです🔆
このスキー場、奥が湖なんです!!
半凍ってる状態ぐらいでした
でも滑った先に湖あるからうまく止まらなかったら湖に突っ込んでしまうかもしれません(・_・;
今回も道具はレンタルです
日本にある自分の板が恋しいですが特にこだわりがあって買ったわけでもないので、、、レンタルはいろんなブランドの毎回乗れて楽しいかも笑
今回はK2でした!
靴を最初に頼んだ時は完全に紐のやつで取れそうだし嫌だなあって思ってたら
それが小さかったので大きいのに変えてもらったら、ワイヤーの靴になってうれしかったです笑
準備ができてリフト乗るぞ!ってなったら重大なことに気づきました、、、
リフトが止まってる!!!!!!!
しかし一つは動いてます
それも日本では見たことない形のやつ、、、
サーフェイスリフトっていうそうです
他にもTバーリフトって呼ばれるとか
実はÅreの時にもそのタイプのを見かけたんですけど怖いし乗り方わかんないし、別に普通のリフトも動いてたんでそっちに乗りました
しかし今回はこれに乗らないと上に行けません、、、
これスキーの人はマシなんです、板が二枚だから
でもスノボの人は板が一枚でバランスをとらないといけないからすごく難しい!
ちなみにこれは二人乗りでスキーの人は棒をお尻の下の方に当てて引きずられる感じです
ボードの人は棒を股に挟んで乗ります
すっごく怖いです
いざチャレンジしたら最初はこけてしまいました😰
板を股に挟むとはいえ感覚的には前にある足に力を入れてボードごと引っ張られるのに加えて、後ろ足で板が地面と平行になるように抑える必要があります
しかし股に挟むには足を動かす(ボードから足を離す)必要があって
この一連の動きをパパパッ!ってしないとすぐこけます笑
しかもリフト乗っている間きちんと立ってないとバランス崩しちゃうのでドキドキです
そしてなぜか早いリフト、、、
二回目でなんとか乗れて無事に頂上に!
湖の先には住宅街があって、都会の近くにあるスキー場っていうのがよくわかります
日本と違って本当に山が少ない!!特にストックホルムは島が多いので余計ですね
そして暗くなり始めてきた、、、
これ降りてしまったらまたあのリフト乗らなきゃいけないのか、、、って思いながらも滑ろうって思ったんですが
すっごい雪質が悪かったです、、、
雪というより氷、笑
私は初歩的なターンすら怖がって木の葉滑りしてたんですけど
音がやばいし友達からかき氷製造機みたいって言われました、でもまさにそれぐらい凍ってました😂
しかも途中から結構な坂になっててやばかったんですが、その時隣みたらなだらかそうな坂があったので降りた後はそっちに移ることにしました
そっちももちろん同じタイプのリフトだったんですけど
Tではなく円形のものが先についていて、スキーもスノボの人も股に挟むタイプでした
今回はなんとかうまく乗れました😄
リフトも前よりゆっくりでしたしね
このリフトいいところもあるんです
途中で降りれるところです
実際にこのリフトではみんなが好きなところで降りていました
ここはなだらかで初心者向けなので本当に始めての子供も多く、真ん中より下ぐらいで降りている人も多かったです
風が多少激しくても動かせるそうです
また事故も少ないそうです
リフトに当たっても痛いかもですが怪我するほどではないですしね
このスキー場、日本と同じように音楽が流れているんですが全て英語で歌われている曲でした
スウェーデンにももちろんスウェーデン語で歌っている人もいます
私もたまに聞いていますが(歌詞の意味はわかりませんが、、、笑)いい曲ばかりです!
日本ではスキー場ではだいたい日本語で、たまにはやっている洋楽が流れますよね
でもここは英語なんですよね、かといってSpotifyにはスウェーデン語のヒット曲とか出てくるんで普段から聞いている人もいるのかな、、、とか思ったり
ヨーロッパでは毎年加盟国でユーロ・ビジョン・コンテストという歌の大会をしています
この大会では各国が代表一人(一組)選び、投票で優勝国を決めるというものです
この大会でスウェーデンは何回も優勝しています
しかしそれらの曲は英語の曲なんです、、、
これは歌詞を英語にすることによって周りの人が歌詞を理解するというメリットがありますが、スウェーデン語を捨ててるとまでは言いませんが、誇っていないのかなーと少し不思議に思ってしまいます😐
スペイン人はスペイン語で勝負しているのに!!いい曲いっぱいあるのに!
そして友達によると、有名になったスウェーデン人はスウェーデンでライブをしなくなるそうです
確かに、私はGalantisという好きなアーティストがいてその人に留学中会えたらいいなと思っていたのですがアメリカばかりでライブをしていました、、、
市場が小さいんですね
音楽の話はこれぐらいにしといて、、、スキーの話に戻します笑
さすが雪国
とても子供の割合が多いです👦
まだまだ初心者なので親が紐をつけて滑る子やずっと下の方で付き添われながらしてる子が多いなかすごい兄弟を発見してしまいました
この躍動感!!!笑
この子たちすっごく小さいんです
多分下の子は2、3歳ぐらい
おしゃぶりしてました😂😂
リフトも周りの子供は親と一緒なのに一人ずつで乗ってるし
降りた後は歩けないのかお父さんを待ち
お父さんはその子たちを押して
滑り始めたら二人とも膝をぐって曲げて構えるし
お父さんも「来い来い!!!」とかいってめっちゃ鍛えられてる、、、
スウェーデンの松岡修造でしたね、あのお父さんは、スパルタです
お父さんもめっちゃうまいし
こうやってすごい選手が生まれるんだー!!って納得してました笑
私たちはリフト降りるたびに人が減るのまったり喋ったりしてました☺️
こんなの作ったり、、三兄弟☃
ナイターだけで4時間ほど滑って、へとへとでした
終わった後のバスであくびが止まりませんでした笑
でもこうやって運動できるのは楽しいです!
ここに住んでる人は自分で買って、シーズン券さえ買えば滑り放題なのかと考えると羨ましいです、、、
ここでも首都近くですもんね、都会に住みながらって日本じゃこんなことできません😭
後一回しかスノボできないけどとても楽しみです!
ではまた😄