アウシュビッツで中谷さんのお話を聞きに行ってきました Part1

 

ついに念願のアウシュビッツに行ってきました!!

 

中谷さんをインターネット上で知ってから約1ヶ月

 

色々映画見て、準備も自分なりにして、気持ちも入れて、、

 

kanelbulle47.hatenadiary.jp

 

 

無事に予約も取れて、沢山のお話を聞くことができたのでここに記したいと思います

中谷さんのガイドは時事問題を絡めて、聞くたびに変わってると思うので面白いと思います!

 

着いて感じだこと

クラクフの中央駅からバスで1時間半ほどで着きます

 

バス停から日本人だらけでみんな中谷さんのを聞くんだなーと思いながら、人間観察をしながら、笑

 

私を含めて大学生が多かったです

春休みだからかな

一人旅してる人が多かったです

バックパッカーみたいな

 

久し振りに多くの日本人に囲まれて違和感😇

よく分からないけど日本帰りたくないって思っちゃった

 

 

着いてからびっくりしたのが外国人の高校?生の数

後から中谷さんから聞いたのですが外国人の修学旅行先として人気なんだとか

日本でいう広島、長崎コースですね

でも広島長崎は日本が被害者っていう印象を与えるので、やっぱり違いますね

おそらくアウシュビッツに行く生徒の国は加害者もしくは傍観者の国ですから

また違った印象を与えそうです

 

 

アウシュビッツに着いて、寒いと感じました

もちろん事前からいろんな人に寒いから気をつけてね、って言われてたのに

最近のストックホルム天気いいし、ここより下のポーランドはもっと暖かいだろうと判断

いつもより軽めのコートに靴もスニーカー

完全に失敗です😇

 

この寒さが負の遺産の雰囲気を創っています

昔は冬は-20度になってたとか

 

なんとなく日本人のところに集まっていると

なんとなく中谷さんが現れて

なとなく始まりました

 

人数確認もあんまりしてないので時間に遅れたら完全にアウトパターンですね笑

 

 

中谷さんの声が聞こえるようにヘッドホンとオーディオガイドをつけてスタートです

20人ぐらいで行われました

 

 

いきなり有名なところ

この写真文字が途切れてる笑

 

ARBEIT MACHT FREI

ドイツ語で働けば自由になれる

 

と書かれています

実際はそうならなかったですが、そう言い聞かせるためのもののような

 

収容所は被収容者が毎日過ごしていたところではありません

主に寝るのがメインです

近くにあった工場に働きに行っている人がたくさんいました

いろいろな企業、大企業も含め、彼らを雇い工場を経営していました

シンドラーもその一人ですね

彼は違いますが、企業は現在でも強制労働を認めていません

なぜなら賃金を払っていたからです

しかしそれがきちんと彼らの元にたどり着いていたのかは定かではありませんし、おそらくないと思われます

 

彼らはこの門を毎日朝早く出て、夜遅く帰るのを繰り返していました

 

 

アウシュビッツポーランドにあります🇵🇱

しかし占領していたのはドイツ人なので当然ここではドイツ語が話されます

門もドイツ語で書かれていますし、そもそもアウシュビッツもドイツ語での地名の言い方です

ポーランド語ではここはオシフィエンチムと言います

ドイツ人にとって言いにくかったのでアウシュビッツに変えたそうです

 

この門の中では大量虐殺、ホロコーストが行われ約110万人が亡くなっています

ホロコーストという言葉はもともと生贄という意味でした

しかしアメリカのテレビ局がアウシュビッツでの出来事を特集した際に題名をホロコーストとしたことから、アウシュビッツでの出来事をホロコーストというようになりました

何のための生贄なんでしょうね、、、

 

 

ここで働いていた人は主に15歳以上です

なぜなら当時15歳からは大人とみなされていたからです

アンネの日記で有名なアンネ・フランクも15歳でしたので働いていました

では15歳以下はどうなるのか

彼らは働けないとみなされ、着いてすぐにガス室送りとされました

ドイツ人はユダヤ人を「人種」つまり血族の関係で祖先にもつながるもの、とみなしていたので家族単位でアウシュビッツに送られることが多かったそうです

つまり目の前で親と子が引き離されるということです

想像したくないぐらい恐ろしいです

ちなみに女性と男性でも別れていました、収容所の中でも家族は離れ離れです

 

 

ではガス室とはどのようなものなのか

この建物は今はもうありません

 ソ連が来る前に証拠がなくなるように燃やし壊しました

今残っているのは当時途中で使われなくなって、医療関係の倉庫となったものです

 

燃やされた時には煙突から煙が出るそうです

 

 

天井の二つの穴からツィクロンBという殺虫剤が撒かれてなくなります

一缶で150人ほどを殺すことができる毒です

 

 

その後焼却炉で燃やされ運ばれます

 

1日に数千人が亡くなたとされています

そのための人の誘導、燃やすのも同じ被収容者です

彼らは生きるのと引き換えに自分と同じ立場の人たちを殺すのを加担していました

そのおかげでドイツ人はしなくて済みました

 

 

彼らは人々を誘導する際にシャワーに入ると嘘をつかせます

暴れたら困るからだと思います

きちんとその嘘のための脱衣所も用意し、服を脱がせます

そして次の部屋に閉じ込めガスを上から撒きます

計画的な感じがします

 

嘘でこれから殺される人を安心させるのが嫌になった誘導者がいました

彼はこれから死ぬと本当のことを言ってみたそうです

すると彼は責められました、なんでそうするのかと

彼は嘘をつく方が良いと思い直したそうです

 

彼はされている側なのに、殺された被収容者にとっては殺した側になってしまいます

実際にアウシュビッツが解放されて20年は生き残った人は口を閉じていたそうです

またここに来ることさえも惨めでできませんでした

なぜなら多くの人が加担する側の仕事をして生き残っていたからです

今ではやっと30%の人が来ることができているそうです

 

 

第4棟

 

門をくぐってまず最初に行ったのは第4棟

アウシュビッツ収容所の幾つかの棟の中は展示室となっています

 

 

これはアウシュビッツに収容された人がどこからきたのかを表す地図です

すごい遠くからも来ています、何日かかったやら、、、

 

 

ガス室、脱衣所、焼却室の模型です

ほとんど地下で行っていました

この缶は実際にガスとして使われた使用済みのものです

一つで150人、数えられないほどの人を殺しました

 

ツィクロンBというのは先ほども述べたように元々虫を殺すために作られたものです

これを使うきっかけとなったのは街の人の声からなのです

被収容者がアウシュビッツに来る時に、最初に浴びたものは現地の人々の声でした

出て行け、害虫どもが!

電車で来る時に聞こえてきます

ここから、害虫=被収容者となり、彼らをこれで殺すことになりました

ちょっと信じられないような話です

最初からツィクロンBで殺していたわけではなく、これは被収容者間で発生しやすいチフスを治すために使われていたのです

それがいつの間にか彼ら自身を殺すものとなっていきました

 

つまり人々の口で発した言葉が始まりとなったのです

それは現代でも言えます、フェイクニュースです

嘘のことを発信し、本当だと信じてしまう人々

それにより様々なところに影響を与えます

この時代でも同じことが起きていたのです

 

ユダヤ人の定義もその中の一つです

ユダヤ人は本来ユダヤ教を信じる人のことを指し、ムスリム、クリスチャンと同じで、人種、血統的民族のことではありません

ユダヤ人に聞いても人によって定義が異なるほど曖昧なものだそうです

しかしドイツ人がユダヤ人を血統、人種、血を要素とし

ユダヤ教徒でない者でも両親、祖父母のうち誰か一人でもユダヤ教徒ならば、ユダヤ人となると述べ、法律として定められました

アンネも自分はユダヤ人ではないと思っていました

ユダヤ教を信じてもいませんでした

しかし母がたがユダヤ教徒だったために収容所送りとされてしまったのです

嘘のことを政治家が発したがために人々がそれを信じ、迫害につながったのです

 

また、個人的に日本語でユダヤ人と言っているのはよくないと思っています

キリスト人?とは言わないし、ユダヤ人といってしまうと、民族があるかのような、人種のような印象になってしまいます

日本語も難しいですね

 

 

二階には被収容者から得た2トンものの髪の毛が展示されています

当時髪の毛を産業用として使うのは珍しくはありませんでしたし、今でもヘアードネーションとしてカツラのために使われたりしています

通常と異なる点はそれを無理やり取られるかどうかという点です

 

発見された時は、袋の中に大量に入っていたそうです

本来はそれをドイツの企業に送り、織物に変えていたそうです

人々は様々なところから来ていたので髪の毛の色も多様でしたが、今ではほとんど同じ茶色になっています

それでも注目してみると茶色の中でも明るめだったり暗い色のがありました

 

この棟に置かれている写真は、ある被収容者が自分が殺されるかもしれない危険があるのに関わらず、カメラで写真を撮り歯磨き粉のチューブの中にメモリーを入れて外部に届けたのだそうです

そういった人がいるからこそ私たちが今見ることができるのです

 

 

 

とりあえず、この辺で

続きはまた今度にします