kanelbulleのある生活

海外や国内の旅行、日々の生活に関して書いています。

別々にある記念碑 in ベルリン

 

 

こんにちは!

 

この前はてなブログからメールが来て、このブログを作って半年だと知りました😳

 

びっくりです

最近はきちんとかけていないけど、少しずつかけたらいいなって思います☺️

 

今回は、5月に行ったベルリンで訪れた記念碑について書きたいと思います。(すごい前😅)

 

ベルリンを含め、ドイツ国内には沢山の記念碑があります。

これらは、ドイツ人の過去を忘れないという気持ちの表れです。

過去の中でも特に、ナチス政権の時を指します。

 

虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑

 

まず一つ目に紹介するのは「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」というもの。

 

ベルリンの、観光地がたくさんある区域にありました。

 

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ただただ大きくて、圧巻です。

2005年にできたそうですが、それまで何があったんだろうというようなぐらいの土地の広さです笑

 

いろんな大きさ、高さの四角形の、棺を表したような、モニュメントが綺麗に並んでいます。

 

真ん中の方に行くと、モニュメントが高くなり、下り坂になっているので、視界がモニュメントだらけです。まるで強制収容所で誰からも助けられない、大勢の人に埋もれてしまった一人の人間になったような気分でした。

 

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この記念碑の地下にはユダヤ人やその家族に関する物語が書かれた資料館のようなものがあります。無料だったと思います。

残っている手紙、ポスターから描かれている事実の物語、そして結末はほぼ亡くなって終わってしまうという悲しさで胸がいっぱいになりました。

 

多くの方は知らないと思いますが、アウシュビッツを始めとした強制収容所に入れられたのはユダヤ人だけではありません。元々は政治犯が収容され、その後ユダヤ人を始めとしたマイノリティー民族や、障がい者などが収容されていました。

 

収容されていた人たちはヒエラルキーが形成されていきました。もちろん一番上は一番人数が多いユダヤ人です。

彼らは収容所が解放された後も収容された被害者の中心人物として活発に活動していました。

 

 

先ほど紹介した記念碑は、あくまで「ユダヤ人」のための記念碑であり、ナチスの被害者全体を指すことではありません。

というのも、ユダヤ人団体が、他の人たちと一緒の記念碑を作ることを拒否したのです。彼らの団体は権力が強く、一方でシンティー・ローマや性的マイノリティの団体は昔からのコミュニティがなく、できてもユダヤ人ほど強くありませんでした。

 

しかしシンティー・ローマ、性的マイノリティのための記念碑も最近建てられました!

 

シンティー・ローマのための記念碑

シンティー・ローマのための記念碑は近くの公園の中にあります。

 

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思ったより人がいたので分かりやすかったです。

真ん中に水がはられていて、所々に被害者の名前らしきものが刻まれていました。

 

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手前の入り口には、この記念碑がシンティー・ローマのために作られたものであるとかかれ、その他にどのようなことをされたのかが英語とドイツ語で書かれていました。

 

シンティー・ローマは一つの地域に住んでいると言うわけではないのでなかなかこういったものを作るのは難しかったと思います。なので多くの人が目に留まる場所に作られて、関係ない人物ですが嬉しく思いました。

 

ホモセクシャルのための記念碑

 

最初に紹介した、ユダヤ人のための記念碑の地下にある、資料館の入り口に三種類のパンフレットが置かれていました。一つ目はユダヤ人の記念碑、二つ目はシンティー・ローマのための記念碑、そして三つ目がホモセクシャルのための記念碑でした。

私はホモセクシャルのための記念碑があることは知りませんでした。やはりユダヤ人のための記念碑はインパクトが大きいので知られていますが、他のは知名度がありません。

 

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ユダヤ人のための記念碑の向かいの公園の入り口付近にありました。

こちらは私たち以外誰もいませんでした。


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中には一つのテレビがあり、映像が流れていました。これが何を伝えたいのかはイマイチわかりませんでした笑

背景が変わっていってたので、時代は変わっても愛は変わらない的な感じでしょうか🤔

 

これらの記念碑はお互い近いところにありつつ散らばっています。先ほども述べたように、ユダヤ人が嫌がったからです。差別はどこまでも消えないのかと思うと残念です。

 

記念碑とは

 

私がこれらの記念碑を巡っていて少し気になったのは記念碑の在り方です。

そもそも記念碑っていう日本語も少し違和感があります。英語にするとMemorial になり、何かの出来事に対して、オブジェを作るものを指します。でも日本語の「記念」となると、お祝い事のような、ポジティブなイメージがついてしまいます。もちろん偉大なことをした時に作ったりするものに対してはその言葉は当てはまりますが、今回のような記憶を残していくために建てるものは少し違うと思いました。

 

また記念碑というのは建てるのが最終目的ではないと思いました。そこにたくさんの人が来て、何かを感じて、周りの人に伝える。そういった役割もあると思っています。そのためには記念碑自身が知られる必要があります。ベルリンには多すぎるほど記念碑があると言われています。しかしきちんと一つ一つの存在意義を知ると、多「すぎる」とはならないと思います。

 

歴史の解釈

ドイツ人の歴史に対する姿勢は模範的であると言われています。

現在日韓の仲が悪くなっていますが、根本的な要因の一つとして歴史の解釈の違いが挙げられます。日本と韓国で同じ範囲の歴史の伝え方が違うという点です。

ドイツでは、歴史の教科書をポーランドやフランスと一緒に作りました。彼らと対話して解釈が同じになるようにしました。それは容易なことではありません。しかしお互いどこかで妥協したりして作り上げました。このような教科書が日本や韓国、中国間であると、歴史の解釈が異なる問題は起きません。

 

そんなドイツではグローバル化しているのに対して、ドイツ国内、ヨーロッパのことに焦点を当てすぎているという問題もありますので日本のように広く浅くすることがダメだとは言えませんが、地球が生まれた時の話より、第二次世界大戦など近世については現在の政治、経済と強く結びついているのでもっと時間をかけるべきだと個人的には思っています。

 

すこし話がずれてしまいましたが、旅行先に記念碑があるならば、ぜひ足を運んで感じてみてください。そしてたくさんの事実に触れてみて欲しいです。きっと視野が広くなると思います☺️