kanelbulleのある生活

海外や国内の旅行、日々の生活に関して書いています。

アウシュビッツで中谷さんのお話を聞きに行ってきました Part3

 

もうアウシュビッツに行ってから一週間と少しが経ちました

でも行ったのが結構前のような気がしています笑

今回はアウシュビッツ収容所の後に行ったビルケナウ収容所について書こうと思います

 

前回

kanelbulle47.hatenadiary.jp

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ビルケナウ収容所はアウシュビッツから3キロ離れたところにある収容所です

最初はソ連軍捕虜収容所として計画されたのですが、最終的にはナチス・ドイツ最大の強制収容所となりました

 

進入門

 

 

この門もアウシュビッツの写真としてよく使われるものだと思います

鉄道の終着点でもあります

ここは今では使われていませんが、この線路の先には今でも使われている鉄道につながっています

 

 

この箱のようなもので実際に50万人以上のユダヤ人がここまで運ばれました

この一つの貨車に70人ほどがブダペストから連れてこられました

呼吸が困難な状態で、運ばれている途中で亡くなる方もいました

 

着くとすぐに労働ができるかどうかの「選別」が行なわれました

この選別、顔を見てパッと決めるんですよね、一瞬で決まります

シンドラーのリストでは女性が自分の血を顔につけて血色をよくし、健康そうに見えるように工夫していました

 

 

これはその時に撮られた写真です

撮ることはもちろん規則違反です

これらは幹部の親衛隊がこっそり撮り、しかし撤退する時に忘れたものをたまたま見つけた生き残った人が形見として持って帰ったものです

こうした奇跡の連続によって私たちはこの写真を見ることができるのです

 

前回でユダヤ人自身もこの出来事を好んで話さなかった時期があったと述べましたが、もちろんその当時ドイツの教科書には載っていませんでした

 

しかし現在では大学の入試ではこれしか出題されないほどになっています

そのために訪れる高校生もたくさんいます

 

このように収容所について教育をしている姿勢を他国に見せると、あまり周りが文句を言えなくなってしまいます

また、古くなってきている建物の、修復費、これもドイツが一番多く払っています

しなかったら怒られそうですけどね笑してるから何も言われないみたいです

ドイツからしても何かにつけてこの問題を突きつけらfれたら困りますしね

 

犠牲者追悼碑

 

この線路の先に、23か国語で書かれた犠牲者追悼碑があります

主に収容所にいた人が話していた言語です

 

ロマは自身の言語はありますが、文字はありません

言葉だけで祖先に伝承しています

なぜなら文字は焼かれたりしてなくなる可能性があるからだそうです

 

日本のアイヌとロマは似ていると中谷さんはおっしゃっていました

共通点は、住んでいるところの大多数と言語が異なり、それにより貧困になったということです

北海道にあるアイヌ民族博物館にはポーランド人の銅像が置かれています

ブロニスワフ・ピウスツキさんというアイヌ研究家の方です

中に飾られている写真もほとんどが彼が撮ったものだそうです

 彼は蓄音機をアイヌに持って行き録音に成功しています

それが今でも聞けるそうです、とても貴重なものとなっています

このようなところにポーランドと日本(アイヌ)との関係があったとは知らず、とても驚きました

 

収容所

 

ここでは収容所の一部が公開されて、彼らの生活を覗くことができます

 

 

彼らが寝ていたところです

3段だったかな

下の方だととても寒いそうです

51人用のベッドに400人以上が寝ていました

 

 

これは収容されていた当時の人が描いた絵です

解放された後も誰も名乗り出なかったことからなくなった人が書いたとされています

子供の帽子がキッパであることから、彼らがユダヤ人だということがわかります

 

 

大きな部屋に対して、この小さな暖房です

死なれたら仕事できなくなって困るから、一応つけてはいたみたいです

冬には-20度ほどになっていたとか

またここは現在でも寒く、風が強いです

この暖炉の監視役もみんながしたかった仕事の一つです

これをするためにはまとめ役の人に好かれるようにしなければいけません

そのために他の人をたたいたり殴ったりとかしていたみたいです

弱肉強食の世界って感じです

 

 

 

これは手を洗うところです

石鹸置き場がありますがもちろん本物は置かれていませんでした

毎晩石鹸で洗うことができたのは厨房で働いていた人のみです

そしてもちろんこれも人気の仕事ですから、好かれる必要がありました

 

 

これはトイレをするところです

彼らは1日に仕事に行く前と後の二回のみすることができました

伝染病を防ぐためにトイレと手を洗うところは別れていました

トイレとはいえ本当に穴が空いている程度のものです

 

前回も述べましたが、伝染病、特にチフスを治すために使われていた殺虫剤が、のちに彼らを殺すための毒薬として使われるようになったのです

 

 

以上でガイドは終わりました

最後に中谷さんはアウシュビッツ収容所ービルケナウ博物館のポリシーについてお話しされました

今現在でも様々な問題が起きて、平和でない状態が続いているところが多くあります

それは無くなるのが理想ですが、残念ながらなくすことは難しいのが現実です

でもその理想を持たない限り、いい方向へは行かないということは確かなのです

無くならないからといって、理想を持たないというのは違うのです

その信念のもとにこの収容所をたくさんの人に見せて、このようなことが起きないようにするべきという心を持ってもらうのがここの目的です

 

毎年来場者は増えていて、LCCのおかげで安くくることもできるようになりました

若い人も多く来ます

皆さんももし機会があれば是非行ってみてください

本当に行くべき場所だと思います

 

私もこの貴重な経験を忘れたくないのでブログに書きました

そして今後ブダペストアムステルダム、ベルリンに行く予定があるので関連した場所に行けたらいいなと思っています

 

ではまた👋